私、沖縄育ちなんです。青い空、青い海の下で、18歳までをのびのびと過ごしましたね。
父の経営していたペンションには外国人のお客さんも多くて、英語というものがいつも身近にあり、
自然でした。昔からアメリカとの距離を感じない環境で育ちました。
大学では英文科を専攻。大学の間には学芸員の免許を取得し、キュレーター(学芸員)になるのが
夢でした。アメリカの美術館が大好きで、そこで働きたかったんです。
日本の美術館や博物館のキュレーターも数が限られていて、数年待ってもほとんど募集が無いのが
現状でした。
そんな厳しい現実を目の前にし、幾年も待てないと考えキュレーターの夢を断念。
そして、卒業後は営業職に就こうと活動を開始。もともとじっとしていられないタイプなので、
その頃は“なんとなく営業”という感じで決めましたね。
就職先は、福岡のアパレル会社。営業と接客に携わる仕事でした。
(実は、当時アパレルには全く興味なかったんですよ。)
そのうち自分の力を発揮できる場所で、仕事をさせてもらえるようになっていきました。
そして入社3年後、企画営業で東京へ異動の話がきたんです。
会社の扱うブランド服を着て、説得力ある営業をやっていくというのは、
会社にとってプラスになる重要な仕事だとは分かっていました。
だけど、10年後の自分がステップアップできているかどうか、という事には疑問を感じましたね。
どうしてもアパレルでの人事異動に納得できず、自分の将来を見出せなかったんですね。
この異動の話は、次のステップを見つめ直す良い機会となりました。
自分で生きる道を考え始めた。そんな節目が、27歳ですね。 |